近況

夏季休暇に入り、東京から地元に帰っている。

自分は「やっぱり地元がいいな」という気持ちと「東京が恋しいな」という気持ちの両方を抱えている。これらは矛盾するような気持ちであるが、どちらも本当の気持ちなのでどう文章化すればいいのか分からず数分悩んだ。どっちの気持ちもある。おそらく私は地元も東京も好きで、しかし両方に物足りなさを感じているような気がする。

地元は東京に比べて街が物足りない。でも私は東京に郷愁を抱かない。

私は大人になったら東京に住むのか、地元に住むのか。まだ分からない。もうそろそろ分かっていないとまずいとも思うが、未来のことを考える習慣がない。今のことで手一杯である。

 

今日は教習所に行って車を運転してきた。つい先日から教習を始めたのだが、カーブもままならないようなフラフラ運転で、運転できる未来が見えない。運動神経は人一倍悪いので人一倍頑張らなければならないが、どうなることやら。免許が取れないってことは無いんだろうけど。

取ったところで実際に車を運転するのかという問題はある。東京で車が必要ないことはこの4か月で身に染みた。徒歩と電車でどこへだって行ける。しかし地元では必要だ。これも結局3年先の未来の話につながるわけだ。留年したらもっと先に延びるが。

 

今日、教習所で「夏休みは今まで何してたんですか?」と教官に訊かれた。何してるんだろう、と素直に思った。驚くことに何もしていなかった。ずっとインターネットを見ていた記憶しかない。「ネット見てました」と言ったら、東京に比べれば地元には何もないですもんねとの返答。気まずい。気まずいし「ネット見てました」の会話の広がらなさ、えげつない。

「自分には何もない」という言葉が呪いのように自分の中を渦巻いている。高校生の頃と自分は何も変わっていない。

 

 

高校では割とちゃんとした部活に入っていたが、大学に入ってからは緩めのサークルにしか入ってないし、夏休み入ってからは地元に帰りっぱなしで大学の友達と会う機会もない。それでずっとネット見てる。そんな毎日が気楽で心地いい。

ネットを見ているだけだと何かやらなくてはいけないという思いに駆られる。youtube特殊相対性理論の解説の動画を見て分かった気になるなどしていた。こういう時間を大切にしたいがばかりに色々なものを失っている気がする。でもTwitterを見れば大学の遊びでウェイウェイとしている様子を見て、自分とは波長が合わないと思って嫌になるのだ。自分はあの輪に交じってウェイウェイできない。

夏だ!海だ!BBQだ!のノリについていけない。夏は暑いし、そんなに人と密接に関わりたくない。だが、ここにも矛盾した気持ちが同居している。人と密接に関わりたい気持ちもあるのだ。人間なんて関わり合いの中で生きているんだし、そういう関係が新たな出会いをもたらすと分かっている。分かっているけれど、やりたくない。なぜだ。

そもそも海やバーベキューが好きじゃないのかもしれない。

 

 

海は好きじゃないけど、ネットの海は好きだ。面白い人やすごい人がごまんといる。私はネットに生かされている。ネットを持たない小学生の頃は、家で漫画を描いて自分の世界にのめり込んでいた。それも良いだろう。思い返せばその頃から友達と積極的に遊ぶような人間ではなかった。今はネットで外の世界に自らを開いていて、それだから自分には何もないと思ってしまうのだ。

 

というか、暇だからこんなことを考えてしまうのだ。

うじうじ悩むのは大学生の特権と言える。社会人になって暇が無くなったらこんな「自分には何もない」なんて考える暇もなくなるだろう。大学生万歳。ずっと続けばいい、この時間が。何でも許されて責任のないこの時間よ、永遠に続け。