夏の終わり

長い長い夏が終わろうとしている。今年は暖冬らしいし、まだ気温が高めの日はあるだろうが、流石に夏の盛りは終わったと思う。

近くの小学校から、ワーキャーと騒ぐ声と水しぶきの音が聞こえた。プールの授業だろう。自分は泳げないのでプールの授業が嫌いだった。特にこの時期のプールは寒くてもっと嫌いだった。外は半袖じゃないとまだ暑いけど、冷たい水に浸かるほど暑くはない、今はそんな時期だ。

小学校の記憶はどんどん薄らいでいる。この夏は地元で免許を取るために教習所に通い、免許センターに行って試験を受けた。収入印紙代を用意し忘れて、暑い中家に帰ったのはこの夏の苦い思い出だ。それはさておき、地元だというのに地元の知り合いに一度も会わなかったのは不思議だった。小中学校の知り合いなんてこの時期に免許を取るような人も多いだろうし、一人や二人には会うかと思ったが、結局会ったのは高校時代のよく見知った友達ぐらいだった。私は偶然の再会に期待したが、そういう懐かしい人には誰一人会わなかった。そんなに皆と親しくしていたわけではないのに少し寂しくなったし、なんとなく居場所がないような感じもした。

時代は流れ、世界も人も変わってしまう。もしかしたら免許センターで地元の友達とすれ違っていたかもしれない。だが、もう自分はその人に気付くことができないし、向こうも気づけない。ほとんどの小学校の友達とはもう6年会っていない。お互いにお互いの記憶の中にある姿ではなくなってしまっているだろう。数年後の同窓会でそのズレが矯正されることになるが、それもそれで怖い気がする。私は中学の頃の友達と数人SNSで繋がっているが、それもまた自分が想像している相手とは違う相手になってしまっているのだろう。各々が各々の道を歩んでいる。だからと言って、もっと友達の現状を知ろうとは思わない。時の流れに思いを馳せて無駄に感傷的な気分に陥っているだけだ。

自分の家庭環境も変わりつつある。おそらくこの夏が今まで過ごしてきた形での最後の夏になるのだろう。人間には結婚や上京という節目が訪れる。全く訪れないというのも怖い話で、そうやって変わっていくのは喜ばしいことであろう。だが、あの夏にはもう戻れないんだという気持ちが脳内を占めてしまい、人生の無常を思ってしまう。

大学一年の長い夏休みが終わる。私はもうすぐ東京に帰る。渋谷はセンター街が燃えて騒ぎになっているらしい。人の気持ちが渦巻く、躁の世界に一人帰って、これから何をしよう。夏より秋冬の方が好きな人間ではあるが、終わり際だけは夏がとにかく恋しくなってしまうのはなぜだろうか。